LINE役員田端さん(@tabbata)の「MEDIA MAKERS―社会が動く「影響力」の正体」が、非常に面白い一冊だったので早速記事にまとめます。
本書を手にして、日頃から考えていた「個人による情報発信の付加価値が今後も高まっていく」という思いが、確信に変わりました。
本の話を始める前に。。。。
筆者の田端さんはこれまで、デジタルとアナログ、雑誌や書籍、ツイッターなどの個人メディアまで、ありとあらゆるメディアに関わって来られた方です。複数の業界を渡り歩いてきた田端さん独自の視点や、メディア全体を俯瞰した上での指摘は鋭いものばかり。ぜひ彼のtwitterはフォローしておきましょう!
この書籍は出版から5年が経過しているため、執筆当時のメディアとその外部環境も大きく変わりました。それでも、今も違和感のなく納得できる主張には、なにかメディアの本質が隠れているのではないかと感じます。
以下、とくに面白かった部分を取り上げてみます。
5秒で読める見出しはこちら
メディアそのものがメッセージである
主流メディアの形が、時代のあり方を示している

本作では、メディアの形がメッセージ、つまりコンテンツであるという大胆な仮説が出てきます。
早速引用していきます。
メディア論の大家である、マクルーハンは、「メディアはメッセージである」と述べました。これは、「内容(メッセージ)ではなく、媒体・手段(メディア)そのものが人間の経験形式を規定する」ということであり、インターネットが到来する遥か以前から、メディアが変われば、メディア上に流布するメッセージ内容やコンテンツも変わらざるを得ないことは、この道のプロにとっては常識です。
「主流のメディアの形が、その時代のあり方を示す」と私は解釈しました。
たとえば、ラジオ・テレビは、時の権威が一方的に情報を発信する仕組みです。
第二次世界対戦前後はまさに、国の頭首がメディアの力で大衆操作していた時代です。
ヒトラーや日本の大本営発表がその典型でしょうか。
しかし、インターネットの登場で、メディアの形が変貌します。
これまで情報の受け手でしかなかった個人が、情報の発信者に変わりました。
(その例はTwitter,Facebook,Youtube,ブログなど枚挙に暇がありません)。
ときには、個人が発信する情報が読売新聞のそれより有益とされる時代です。
主流メディアの転換と社会の変化が同時に起き始めているのは偶然ではない?
この主流メディアの変化が含むメッセージとは何でしょうか?
権力の「マス⇒個」への移行
と私は考えます。
最近、ビットコインが高騰して話題ですよね。朝のテレビ番組でもよく取り上げられるようになりました。
ビットコインの信用を支える仕組みはブロックチェーン技術で、分散型台帳と呼ばれています。
ブロックチェーン技術と個人メディアのネットワークは驚くほど酷似しています。
「メディアの形が、社会のあり方を教えてくれるメッセージ」なのであれば、
個人メディアが作り出すネットワークの発達が、ブロックチェーン技術の普及を暗示しているのではないかと、私は感じます。
【編集権の独立】個人メディアが力を発揮する可能性
次に、「編集権の独立」という概念が非常に興味深い内容でした。
ここでは既存マスメディアが抱えるジレンマが描かれています。
さて、「編集権の独立」とは何でしょうか。ウィキペディアによると「編集権の独立」とは、以下のように定義されています。
Editorial independence is the freedom of editors to make decisions without interference from the owners of a publication.「出版物のオーナーから妨害されずに、編集者が意思決定できる自由」のことを指して「編集権の独立」というわけです。
「メディアは取材対象との間で、経済的な利害関係を持ってはならない」し、「特定の企業が経済的に利益を得るために、編集判断や原稿内容が左右されることがあってはならない」ということです。
要するに情報を発信する際は、どこに属していようと編集者が自由に意思決定できる必要性があるということです。
しかし従来の既存マスメディアには、膨大な利害関係者とスポンサー様がいます。
スポンサーに支えられているメディア、出世を決める上司に逆らうことのできないライターの存在は容易に想像できます。
つまりメディア関係者からすれば、「編集権の独立」なんてきれいごとでしかないわけです。
そこに、私は個人メディアの立ち入るスキと可能性があると感じています。
個人ブログほど読者ファーストで発信できるメディアはない
田端さんは、編集権の独立について、以下のように続けています。
最後に釘を刺しておきたいのは、「編集権の独立」とは、「ジャーナリスト様」「カリスマ編集者様」が、ビジネスを統括する管理者に向かって、「俺らのやることに口を出すな」と自分たちの既得権や組織を守り、居直るための「盾」ではないということです。あくまでも「読者やユーザーの利益のために、メディアの影響力が行使されること」を確保するためのルールであるべきです。つまり、「全ては読者のために」です。
強調しすぎることのないくらい大事なことは、「メディアは必ず、受け手を必要とする」ということと、コミュニケーションにおいては「受け手こそが王様」であるということです。
大手既存メディアは、今どうしようもないパラドックスを抱えています。
長期的にメディアを運営するためには、受け手である読者の維持が不可欠です。
しかし、目先の情報発信に関しては、スポンサーの意向を無視することができません。
なので、今の大手メディアは、スポンサーの意に反さない限られた情報の中から、読者のためになるコンテンツを発信しているに過ぎないのです。
こうした背景が、日本の報道自由度が一向に上がらない原因です。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/04/26/story_n_16276730.html
実際、読者もこのような状況を察しているのではないでしょうか?。
個人の体験談やレビューに重きが置かれるのは、権威あるメディア(新聞、テレビ)をユーザーがぞれほど信用していない証拠です。
一方で、個人メディアでは、発信する情報のコンテンツに制限がありません。(書けないことと言えば、嫁の悪口くらいです笑)
好き勝手に個人の意見を提供できる点において、個人メディアほど機動力に優れている媒体はないと思います。
「すべては読者のために」をこれから実現できるメディアは、スポンサーを持たず(個人が弱い理由でもありますがw)、制限のない情報発信をできる個人メディアだと私は思うのです。
メディアの勢力図が変化し始め、個人に流れが来ていることは間違いありません
私がブログを始めて2ヶ月が経ちましたが、開設初期のこのタイミングで、素晴らしいメディア論に出逢えたというのが率直な感想です。
個人メディアを持てば、将来何か良いことがあるかもね、という言葉で締めくくらせていただきます。
まだ読まれていない方はぜひ一読されてみてください。Kindle Unlimitedに登録されている方は、無料で読めますよ。
本日も最後までありがとうございました。
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